聖マリアンナ医科大学 医学部

【合格者の声】30代・数学教員からの医学部再受験

2014年度最終合格 細田孝之さん 聖マリアンナ医科大学医学部

祝賀会にて同年代の再受験生とともに
祝賀会にて同年代の再受験生とともに

■ 医学部受験とEKM入塾の経緯

 

 私は、社会人として8年間の経験を経て、医学部受験を決意しました。その後、他の個別指導の塾に週2日通いながら、その他は図書館等で勉強しながら受験に臨みました。結果、一、二年目は複数の大学で一次試験合格、二次補欠まで行ったものの最終合格には至りませんでした。中でも、二年目の受験では、実際の入試でもある程度の手ごたえも感じていただけに結果には少なからずショックを受けました。一年目の受験直後に、『30歳・文系・偏差値30でも医学部に受かる勉強法』を読み、EKMの存在は知っていましたが、実際にEKMに医受験コンサルティングを申込んだのは、入試直前の10月下旬になってからでした。そこで、瀬戸教室長にお会いして話していただいた言葉が「確かに再受験ということもあり、他の受験生と同じくらいの点数では不利になることはあるが、率直に合格に必要な点数が足りていないのだと思います。」というものでした。私は、この言葉のおかげで甘えを排してEKMで受験までやれることをやろうと決意することができました。


■ EKMで学習を始めて良かったこと


 EKMでは、進藤先生に物理、化学をお世話になりました。物理は得意な科目でしたが失敗すると点数が悪くなる科目でした。授業では、自分があまり考えていなかった問題へのアプローチの仕方を学ぶことができ、本番でも力を発揮することができました。化学では、あいまいな知識を先生とのやり取りのなかで確認することができ、基礎知識が安定しました。また、過去問対策では、問題のレベルを見極め、解くべき問題を選ぶ力を養うことができました。そして、原田塾長瀬戸教室長には、二次の面接・集団討論対策でお世話になりました。瀬戸先生には、面接前日から当日の朝までメールでも的確で親身な指導をしていただき、特に二次の配点の高い聖マリアンナ医科大学では自信を持って面接に臨むことができました。

 

■ 学習面、心理面で心がけていたこと


 学習面では、時間感覚を高めるために普段からストップウォッチを持ち歩き、常に問題を解く時間を意識して勉強していました。また、細切れ時間を有効に利用するために、歩く時間を意識的に作り、その時間で暗記事項の確認をしていました。心理面では、日常生活のなかでも頭の切り替えを早くすることを心がけていました。受験時代は負の感情を引きずってしまうこともあると思います。そんなときは、自分なりの切り替えの儀式を決めておくことは大切です。私の場合は、そんな時はトイレ、風呂掃除を意識的に行って気持ちを切り替える訓練をしていました。これによって、以前より負の感情を引きずってしまうことが減ったと思います。


■ EKMと後輩へのメッセージ


 私は、EKMに在籍した期間は短かったですが、直前期は精神的に随分と支えていただいたと感じています。このような、環境を作って下さった原田塾長、瀬戸教室長、講師、事務、OB・OGの方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。特に、再受験生の方々は、精神的に苦しいことが多いと思います。その中で自分が信頼できる存在を見つけることが受験を乗り切る上で大切になると感じました。EKMは、勉強面はもちろん、メンタル面でも支柱になってくれる存在であると思います。

留学帰国・文系・高校過程未履修からの医学部合格!

(右手のガッツポーズが途切れた原田塾長、嬉しすぎて両手が挙がってしまった瀬戸教室長、ちょっと恥ずかしそうなO君、偉大なるお姉さま!)
(右手のガッツポーズが途切れた原田塾長、嬉しすぎて両手が挙がってしまった瀬戸教室長、ちょっと恥ずかしそうなO君、偉大なるお姉さま!)

今夜、聖マリアンナ医科大学医学部に合格・進学の決まったO君が、御姉様と一緒に来校してくれました!合格おめでとうございます!!

 

O君は、中学卒業後にスイスのインターナショナルスクールに留学。卒業後は漠然と「家業の助けになれば…」との思いから、会計学を修めるべく米国の大学に進学したそうですが、故あって医学部進学を決意します。

 

エコール麹町メディカルの門をたたいてくれたのは、帰国してすぐの2010年8月のこと。原田塾長、瀬戸教室長、O君、お姉さまという、まさにこの写真の4名が初めて出逢った瞬間でした

 

都内の複数の医系予備校をまわっていく中で「あなたような経歴での合格は難しい」と半ば門前払いを受けたのだそうです。たしかに、日本の高校の履修過程をまったく受けていない帰国子女の受験は、手間暇がかかり、その上、合格しないかもしれないリスクが伴います。

 

しかし、逆境型受験生に特化して指導・応援するEKMにはすでに海外高校卒・帰国子女としての合格前例もあり、さらに、O君とお姉さんの熱意と気迫を見て、「この子なら絶対にやれる。一緒にリスクを背負って挑戦しよう」と塾長と教室長は判断したそうです。

 

あれから2年半…医師家系ではないO君のご家族皆さんの応援と支えを受けて、ここに医師の卵が産まれました。お姉さまはじめ、ご親族のみなさんのお喜びの様子を伺うにつけ、教室長も塾長も「こんなに嬉しいことはない」と目頭を熱くしていました。

 

日本の高校履修範囲の学習を文字通りイチから、必要な範囲は中学レベルにまでさかのぼってのスタートでした。留学経験者だから英語はできてあたりまえ…のはずですが、厳密な文法の知識やかなりハイレベルな読解問題などは、あらためて「受験勉強」が必要でした。

 

受験勉強をはじめてわずか5か月後の最初の入試(2011年度入試)は、さすがに「練習試合」のように過ぎていきましたが、1年半後の入試(2012年度入試)では、狭き門である埼玉医科大学医学部・後期の一次試験を突破。しかし、その後の二次合格は果たせませんでした。

 

そして迎えた最後の1年。今年は、最終合格に必要な学科試験面での「詰め」と同時に、二次試験も意識した小論文、面接、言葉や論理の勉強(広く言えば「国語」の勉強)に力を入れました。これによって、帰国子女の(軽い)英語が、本格的でまともな英語に育ったともいえます。

 

結果、埼玉・前期、聖マリ、福岡と安定の複数合格。慈恵、日医、順天堂、昭和といった〝上位校”はそもそも受験しておらず、合格したい学校のほぼすべてに合格できた形です。

 

学力的には≪底辺≫から這い上がり、聖マリは3000人超の中での99名・正規合格という堂々たる戦いでした。とくに、埼玉と聖マリについては、国語や面接の要素が強い点という点を見ても、受験戦略・対策による勝利といえましょう。

 

完全な未履修状態・偏差値30台からのスタートからの合格。2年半の月日を長いとみるか短いとみるかは人それぞれですが、わたしたちは、この結果とプロセスに誇りをもっています。

 

最後にもう一度、O君、合格おめでとう!!!本人による合格体験談も近日公開予定です。

日本の高校教育ゼロからのスタート。見事手にした正規合格!

大間 京希さん [一般入試]

聖マリアンナ医科大学医学部医学科(最終合格)/埼玉医科大学(一次合格)/福岡大学(一次合格)

夏の湘南合宿にて。応援に駆け付けてくれた、OBの木村先輩と。(左・大間君/右・木村先輩)
夏の湘南合宿にて。応援に駆け付けてくれた、OBの木村先輩と。(左・大間君/右・木村先輩)

 私は、中学校卒業後の4年間を海外の学校で過ごしました。高校生活の3年間はスイスのインターナショナルスクールで、大学の1年次をアメリカのシ アトルで生活しました。初めて親元を離れ、生徒の過半数が外国人で構成される学校に身を置くことはとても刺激的で、素晴らしい経験となりました。そして、 卒業を迎える学年となり、周りの友人たちがアメリカの大学に願書を出しているのをみて、軽い気持ちで自分もアメリカに渡ろうと決めました。しかし、成績も 中の下程度で、特に将来について明確な展望があったわけではない私は、入れる大学がなかったのです。そこで、「シアトル」+「イチロー」=「なんか格好い いんじゃね?」という安直な考えで、シアトルのコミュニティカレッジに進学を決めることとなりました。

 

 大学入学後、シア トルのコミュニティカレッジでは平均的な授業数を取っても内容はとても簡単で、遊ぶ時間に困ることは無いほどでした。アメリカに渡ってから8か月程たった ころから、「俺はこのままこのゆるい生活を続けて、将来どんな職業につき、どんな人生を歩んでいくのかな。」と考えるようになり、「よし、日本に本帰国し て、大学に入りなおそう!」と決心しました。すぐに家族に電話をかけ、その旨を伝えると、姉の口から出た言葉は2つの選択肢でした。「日本に帰ってきても いいけど、中途半端なことするくらいだったら法学部か医学部にはいりなさい。」というものです。数日間考え、医学部を目指すことに決め、2010年6月下 旬に本帰国することとなりました。当時の自分は自分の将来をしっかりと見つめ、良き将来のため決断したと思っていました。しかしながら、医学部受験につい て無知だったこともありますが、振り返ってみると、あの時の自分は何としてもとにかく日本に帰国してきたかったんだなと思います。

帰国後、すぐに予備校へ。
 日本に帰ってくると、姉が先に下調べしておいてくれたいくつかの東京の医系予備校に2人で面談を申込み、足を運びました。「今年度の合格を目指したい」 と伝えても返ってくる言葉は「いやいやきついですよ」や「医学部受験はそんな甘くないですよ」といった否定的な態度だったり、馬鹿にした態度をとったりす るような人ばかりでした。そんななか、エコール麹町メディカルの原田塾長と瀬戸教室長だけは「医学部受験はとても大変ですが、一緒に頑張っていきましょ う」と背中を押してくださり、僕も姉も満足して入塾を決めることとなりました。


未知の領域に飛込み、無知に気付かされた1年目。

  2010年7月上旬からエコール麹町メディカルに単科生として入塾しました。英語は倉林先生に文法を8月末までに終わらせていただき、数学は内海先生と河 本先生に分担してもらって0から受験期までに終わらせるという方針のもと進めてもらいました。そして理科に関しては、三宅先生に「入門編」として生物・化 学を1周していただきました。今思えば、「入門編」といえど、一般学部の入試であれば十分すぎるほどの知識を与えてくれる、濃密な授業だったと思います。 また数学と英語に関しては9月から集団授業に参加し、数学に関しては自分の今のレベルを嫌でも認識させられ、一方、英語は「この科目だけは絶対にまわりに 負けたくない!」と思い励んでいました。しかしながら集団授業や模試を通して、受験期が近づくたびに今までにこなしたことのない膨大な勉強量の実態が分 かってきて、「絶対間に合わない…」と思うようになりました。しかし、ここで折れても、何もならないと思い、また周りで一生懸命に努力を続けている仲間が いたおかげもあり、そのままほとんどペースを落とさず受験期まで突入することができました。やはり、英語以外は0からのスタートであったため、医学部受験 で戦っていくには心もとないもので、医学部は全敗。しかし、教室長のアドバイスで受けることとなった鶴見大学歯学部に見事特待生として合格することができ ました。人生初の大学受験で、医学部に全敗した後のその合格は、歯学部といえど、僕にとって、とても意味のあるものとなり、もう1年頑張ろうと決意できる 要因となりました。

 

人生初、学科試験を通過した2年目。
 4月から新しい年度が始まると、共に医学部を目指す仲間も増え、より一層受験勉強に取り組むことが出来ました。その中でも救急救命士という立派な職業を 辞めてまで、医学部受験に臨むことを決心し、エコール麹町メディカルに入塾した方がおり、その方の志望動機や勉強に対する姿勢には多くのことを学び刺激を 受けました。また浪人2年目となるこの年の6月ごろに叔父と祖母を亡くし、葬式にも出ることができなかったので、必ず医学部に合格して、墓前でいい報告を することを心に決めました。


 そして迎えたその年の受験、僕は医学部以外に進学するつもりはなかったので、他学部に出願することはせず、医学部のみを受験していきました。しかしどこ を受けても結果は出ず、なかば諦めていたところに埼玉医科大学の後期受験をすすめられ、受験しました。受験日当日までの2週間は赤本を解き倒すことだけに 専念し、ラストワンチャンスを手にするべく死に物狂いで過ごしました。その甲斐あって1次試験を通過し、人生初となる医学部の面接に臨むことになりまし た。しかし、補欠合格者のグループに入ることもできずに敗戦を喫することとなりました。


合格を掴み取った3年目。

 埼玉の2次試験が終わり、1、2週間休むとすぐに浪人3年目に向けて準備が始まりました。この年は前年と比べて大きく2つ変わることがありました。1つ 目は「浪人は今年で最後であり、滑り止めの他学部も受験すること」。そして2つ目は「2年目までは居候で恵比寿から渋谷への通学だったが、千葉の実家から の通学となったこと」。1つ目の変化は医学部受験に向けて勉強していれば問題なく達成される事でしたが、2つ目の変化はやはり無理があり、受験期直前の 11月から東京で一人暮らしすることとなりました。今までの交通時間がもったいなかったねと思われるかもしれませんが、自分でどれだけ通学時間が無駄だっ たか身をもって経験しただけ、東京に引っ越した後はより効率的に勉強に打ち込むことが出来たと思います。


 浪人生活も3年目ともなると1年というのはあっという間に過ぎて行きました。気付けばセンターの直前になっていました。


 マーク型の試験では過去最高の結果となりましたが、医学部のセンター利用で使えるほどではなく、センターが終わるとすぐに2日後に迫る東邦大学医学部の 入試に向けて気持ちを切り替えました。東邦、杏林と連続して惨敗を喫し、自分の実力を疑い始めた矢先、同じ予備校から数名が東邦の1次試験を通過したこと を聞いて、心から喜んだと同時に悔しい気持ちも抱きました。その悔しさを糧に死に物狂いでやりきり、3つの大学の1次試験合格を手にする事となりました。


 埼玉医科大学、聖マリアンナ医科大学、福岡大学医学部の中でも聖マリアンナ医科大学の面接は他の大学とは大きく異なります。まず個人面接をしたあとに 11人または12人のグループで行うグループ討論をして、再度個人面接を行います。僕自身、グループ討論まではとても良い手ごたえを感じておりましたが、 最後の個人面接では経済についてや、四文字熟語について答えることが出来ず、焦りに焦った挙句、学校が推している制度について「興味がありません。」など と答えてしまう始末で帰り道に珍しく意気消沈する程でした。そのようなこともあり、「正規合格」として発表されているのを見たときには、驚きが隠せません でした。

最後の正月合宿。同期の鈴木さん(東邦大学医学部に進学)、先輩の嵐さん(獨協医科大学医学部に進学)と。
最後の正月合宿。同期の鈴木さん(東邦大学医学部に進学)、先輩の嵐さん(獨協医科大学医学部に進学)と。

受験を終えて。
 やはり感謝という言葉に尽きると思います。
 留学している時に医師という職業を提示してくれて、決して誰でも通えるわけではない予備校の学費を払い、これからも6年間お世話になる姉にはまず頭が上がりません。
母は、僕が千葉までバスで帰るのがどうしてもめんどくさいというときには東京まで車で迎えに来てくれ、いつもおいしい御飯を用意してくれました。また、僕 が1次試験に初めて合格した時に泣いてくれた妹のような姪や叔母がいます。そして「お前には絶対負けない。」と発破をかけてくれた兄がいます。驚かすため に内緒で福岡に行った僕を暖かく迎え入れ、祝福してくれた親戚のみんながいます。


 瀬戸先生や原田塾長には勉強だけでなく、生活態度や考え方などいろいろなことを教わりました。瀬戸先生の英語の授業では、生徒の弱点を見抜くのがうまく、自分が当たりたくないなと思っている問題に限って指名されるので毎回ひやひやしていました。    
 原田塾長のサンデルの授業は、英語力、思考力や知識を一度に身につけることのできる有意義な授業でした。また小論文の授業でいろいろなテーマについて理 解を深め、小論文を書いて頭の整理をすることで聖マリアンナ医科大学や福岡大学医学部の2次試験対策として強みになったと思います。


 エコール麹町メディカルで初めて授業を担当して下さったのが、英語科の倉林先生です。倉林先生は英語の知識についてはもちろん、教科の枠にとらわれない、実生活に即した雑学が豊富で、先生の授業はいつも面白く、ためになるものでした。
 数学の内海先生河本先生には入塾してから集団授業や個別の授業を通して、僕のくだらない質問にも真摯に答えて下さり、始めから最後までずっとお世話になりました。
 三宅先生は深い知識と分かりやすい説明をもとに、受験に必要な知識を僕の頭に叩き込んでくれました。先生も来年からは研修医になるとのことで、まだまだ先ですが、将来いつか職場で出会えたらなと思います。
 進藤先生にはゼミや個別でお世話になりましたが、特に個別では僕の性格をきわめて正確に把握し、問題点などについてしっかりとアドバイスをして下さいました。
 若林先生は何でも思ったことを述べてくれる先生で、自分が間違えてはいけない問題で間違えたときも、しっかりと基本から解説して下さったのが印象的でした。
 太田先生には個別の授業でお世話になり、生物が苦手な私にとって、分からないことを質問すれば120%で一気に説明してくれ、流れるように頭の中に入って行きました。
 藤本先生は豊富な知識を元にどんな複雑な分野でも、物語のように明解に解説してくれます。


 事務室の竹生さん、寺井さん、道脇さんには本来ならば僕たちが自分でやらなければならないような面倒な事のほとんど全てを、かわりにして頂き、おんぶにだっこというような感じで2年半の間大変お世話になりました。
 なんでも話すことができ、相手の合格に悔しさを抱く一方、心から祝福できるような仲間ができたこともとても価値があることでした。


 これまで何か達成したこともなく、将来について何か希望があったわけでも無かった僕にとって、まさに合格したあのときは人生が変わった瞬間だったのでは ないかなと思います。そして、この2年半を振り返ってみるといろいろな人に支えられてここまで来ることが出来たのだな、と強く実感します。


 僕は決して他の誰よりも勉強している、という風に思ったことはなく、また周りも僕に対して同じこと思っていると思います。実際、僕の予備校にも6時から 24時まで勉強している人もいます。もちろん僕もそういった人に刺激を受けて、やろうと思った事はありましたが続けられず、すぐに断念しました。こういっ た経験から、医学部を目指す人にはあまり周りに影響され「過ぎず」、いい意味で自分のペースであきらめずに頑張ってほしいと思います。

 


早期の医学部受験対策開始で掴んだ、堂々の現役正規合格!

◆ 聖マリアンナ医科大学 医学部(正規合格)

NARIKAWA Honoka さん [出身]神奈川県 [高校]豊島岡女子高校・卒業

~ 塾との出会い ~ 

私とエコール麹町メディカルとの出会いは、二年前の冬、私が高校一年生のときでした。小さいときから医師を志望していた私は、来年時から高校の授業で始まる本格的な理系科目の学習と医学部現役合格に向け、学習面でしっかりとしたサポートをしてくれる塾を探していました。将来の事を考えると、(たとえ学費の高い私立医学部でも)現役合格が望ましいと思われたのと、医学部合格のためには(自分の在籍していた)進学校と言えど、学校で与えられる勉強だけではなく、塾等での学習も不可欠であると考えられた為です。

現役生のみ受講可能な河合塾現役館等、いくつかの大手予備校の資料を取り寄せ両親と検討してみたりもしたのですが、大手では個人個人の学習や精神面のサポートに手が回らないのではという懸念がどうしても残り、悩んでいた所で母が偶然にもエコール麹町メディカルのホームページを発見しました。直接会わずとも、そこから教室長先生塾長先生、講師の先生や事務局の方々に至るまで、生徒一人一人の学習に傾ける迸るような情熱を感じ取った私と母は、早速資料を取り寄せて、ともかくも教室長先生、塾長先生に直接会って話を伺い、一つでも二つでも、実際に授業を受けてみることに決めました。

~ 麹町メディカルでの学習の始まり ~ 

入塾前の最初の面談で、すっかり教室長先生の理念と情熱に魅入られた私は、直感的に「この先生の下でなら、きっと私も医学部に現役で合格できるに違いない。」と感じ、体験授業を経て、すぐさま入塾を決意しました。

一年次は合格の学習の先駆けとして数学科の副主任講師である内海先生から数学を、理科講師の斉藤先生から、当時私の苦手教科の中でも最たる物であった化学を教わっていました。両先生の細やかながらも熱心な指導の下、一年次の終わる頃には、両教科に対して長らく抱いていた苦手意識を払拭させることが出来ました。

高2の夏、オープンキャンパスめぐりで金沢へ
高2の夏、オープンキャンパスめぐりで金沢へ

二年次からは学校での進度や学習に沿って、数学や科学は更なる学習を進めてゆくと同時に、夏からは当時自分自身が勝手な独りよがりで得意教科としていた英語の学習もスタートしました。当時私は英語科の坂口先生と倉林先生の個別指導を週二回のペースで受講していたのですが、授業を初めてみるとあれよあれよとばかりに、得意だと思い込んでいた英語における『あら』を次々に発見しました。それでも両先生は私の学習方法に難点がある事を頭ごなしに責めるようなことは一切せず、これからどんな内容を、どう学習してゆけば更なる学力の向上を図ることができるのかということを、懇切丁寧に教えてくれました。具体的には、私は自分自身が思うよりも文法問題が苦手で、全体的に英文の概要を掴み取ることは出来ても、一文一文を咀嚼して正確な和訳を求めるような、確実な文法力を必要とする類の問題を苦手としていました。両先生はそんな私のために、基礎からかなり上級レベルまでの文法力を必要とする和文英訳のプリントをご用意下さり、授業で演習を行いながら、私の学習レベルに合わせた、非常に分かり易い解釈を与えて下さいました。

漸く受験に対する本格的な意識の固まってきた二年次の冬からは、理科の主任講師である三宅先生による、生物・化学の早期ゼミを受講しはじめました。実際は、学校の方の授業の都合等で、化学の方のゼミには殆ど出席できませんでしたが、概ね生物のゼミに出席し、学校でしっかり備わったと思っていた生物の基礎知識がいかに浅はかで、穴ぼこだらけのものであったのかを知りました。三宅先生の授業は大学のゼミで取り扱っても差し支えないような高度な物で、内容が深遠すぎるが故に、「現役高校生も多く受験する医学部受験で、果たして本当にここまでのレベルが要求されるのであろうか?」と、正直何度も疑問に思いましたし、生物は今後これ程深い所まで学習を押し進めなければならないのか、果たして後一年で私に出来るだろうか…と不安にも苛まされました。しかしながら、次の年、私はこの時受講したゼミが如何に有意義なものであったのか、身を以て思い知らされることとなったのです。(これについては、後に詳述します。)

四月になり、当時は国公立受験も視野に入れていた私は、まずはセンター試験で得点しなければならないと実感し、以前にも増して奮起して勉強を始めました。生物・化学については、三宅先生、進藤先生から、徹底して基礎からご指導頂きました。当時、塾生の中には私も含め、理科2科目を未履修・初学の生徒が多く、ただでさえ勉強すべきことが多かった上に、エコール麹町メディカルのスコレー週(月に一度、定期チェックテストが実施される週)と学校の定期テストの時期が重なったりして、大変に苦しみました。しかし殊更、進藤先生の「基礎を繰り返し履修させながらも螺旋状に授業で行う演習問題のレベルを徐々に上げて行く」指導や、三宅先生の「高度で難解ながらも、確実に現在の医学部のレベルに即した」指導によって、私の理科の成績は ― 特に高校に進級した当時、最も苦手としていた化学の成績は―、点数としても実感としても、面白いように上昇してゆくのを感じていました。

しかし、夏の終わりに事件が起きました。経済的な事情で、エコール麹町メディカルをやめ、(学費の安価な)大手予備校に移らなければならないという危機に瀕したのです。この時、教室長先生は、私のおかれた状況を家族のように真剣になって相談に乗って下さり、あの手この手で問題を解決してくださり、おかげで、私が最も理想とする形で勉強を続けることを可能にして下さいました。また、本科生のみなさんのご理解もいただき、私が本科ゼミに参加できるようにも時間調整の手配をして下さいました。おかげで、数学科の内海先生や英語科の倉林先生の個別指導を受けながら、本田先生のゼミにも出させていただきました。このゼミでは、苦手な文法の『あら』を埋め、最終的には他教科で思うように点が取れなかった時でも、その不足を補うことが出来るよう受験に向けての最終調整段階に入りました。

数学は、終始内海先生の個別指導を受けながら、本科のオリジナルテキストを使って演習形式の授業を進めました。それと同時に、紹介された問題集を愚直に何往復もこなして、全範囲モレ・ヌケのないように、とにかく他教科の足を引っ張らないようにと努めました。途中、河合塾全国統一模試等でも、中々努力に見合うような点が取れなかったりと、成績が思うように伸びずスランプに陥ったこともありましたが、月並みな言い方でも、苦しい時期を乗り越えてひたむきに努力する事が、最終合格に繋がるのだと思います。

~ いよいよ医学部受験スタート ~

出願に際しては、我が家の方針に沿って、教室長先生ともよく話し合った結果、第一志望である東京慈恵会医科大学をはじめとして、(センター利用も含めた)私立医学部のみ、全部で6校を受験することとなりました。

私にとって最初の大学受験本番であったセンター試験。理科(生物・化学)では、一年前のマーク模試の成績からすれば“絵空事”とも思えた、平均得点率95%をマークすることが出来ました。しかし、苦手の数学の穴を埋める程の余裕はありませんでした。

教室長先生は、その後に来る私立大学の試験に向けて私を励ます意味でも、「杏林大学のセンター利用入試で合格できる見込みはある」とおっしゃってくださいました。しかし、最終的に私大専願になったにもかかわらず、これまでずっとセンターに力を入れ、数学に至っては、夏から過去問や問題集、模試を含めれば四十カ年近くを解きこなした身としては、自分の不甲斐なさを呪わずにはいられませんでした。

けれど、いつまでも落ち込んではいられません。センター試験終了の5日後には東邦大学の入試が控えていました。東邦大学は、言わずもがな、英語の問題が非常に特徴的で、他学部の受験ではまずお目にかかることのないような専門的な医療系英単語が注釈無しで多量に出題される上、時間内で全ての問題を解ききるには、(私に言わせれば)「常軌を逸した」スピードが必要とされます。本田先生の個別指導の下で、それらの「語彙力」と「スピード」をブラッシングし、試験に臨みましたが、結果は惨敗。化学以外の全ての問題傾向が変わり、英語は一文目から何を言っているのか右も左も分からぬ始末。更に、試験中 ー これも漫画のような話ですが ー 終始、斜め後ろの受験生が絶え間なく貧乏ゆすりをしているのが、(情けないことに)異常に気に障り、青い顔で帰宅後、自室で泣き崩れているような状態でした。

気を取り直して臨んだ順天堂大学の試験でも、試験会場が他校よりも遠いことを理由に、私を会場まで送り届ける予定だった父が前日の夜に突然癇癪を起こし、急遽単身で会場に向かうべく事務局の方々に最寄り駅から会場までの地図をファックスで送ってもらったり、当日の朝には緊張のためか嘔吐したりと、トラブルが続きました。勿論そればかりが原因ではないのですが、結局この時も、一次の段階で合格の切符を得ることは敵いませんでした。

続く昭和大学でも、まるで下り坂を転げ落ちるように一次合格すらならず、殊にこの学校に関しては、過去問を解く中で確かな手応えを感じていたために、ショックも一入でした。

その後、聖マリアンナ医科大学の一次試験を終え、順天堂大学と昭和大学の一次の結果が出た頃、家庭内は正しく戦々恐々といった具合で、現状に耐えきれない父に至っては、気を紛らわすべく、まだ全ての入試が終わったわけでもないのに、来年度から通う予備校を検討しだす始末でした。何とも辛い日々でした。

東京慈恵会医科大学の一次入試を終え、聖マリアンナ医科大学の一次発表が出た時、私が感じたのはやっと手にした一次合格に対する喜びよりも、緊張の糸がほぐれたことにより、どっと押し寄せた疲労感でした。けれども、漸く合格の切符を手にしたことで、その後発表された慈恵の一次不合格という結果も、これまでより冷静に受け止めることが出来たように思います。

杏林大学と聖マリアンナ医科大学の二次試験に向け、小論文対策を塾長先生に、面接対策を教室長先生に執り行って頂きました。小論文対策では塾長先生に、今年の小論文の出題テーマとして狙われそうな時事ネタをまとめた冊子を渡され、特に論を展開するのに必要とされるであろう医療倫理における基礎知識について解説を与えて下さいました。就職試験であるとも言われる医学部二次試験において、最もふさわしい小論文の『型』も会わせてご教授下さったことで、本番でどのようなテーマが出題されても慌てふためくことなく、他の受験生より一歩抜きん出ることが出来たように思います。

面接対策では事前に渡され記入した面接シートを元に進めました。重箱の隅をつつくような圧迫面接にも備えて、本番さながらの緊張感の中で行っていただきました。お陰で聖マリアンナ医科大学の、かなりの精神的負担の伴う面接試験にも、全く臆することなく臨むことが出来たのです。

今回、第一志望合格という最も理想的な結果とはなりませんでしたが、世間的には現役合格者三割という医学部受験で曲がりなりにも宿願を果たすことは、教室長・塾長先生、ひいてはエコール麹町メディカルとの出会いがなければ成し得なかったように思います。

~ 受験を終えて ~

これから医学部に関わらず、大学受験というこれまでの人生で最大の壁を乗り越えようとしている皆さんに、僭越ながら伝えたいことがあります。本番は言うまでもなく非常に緊張します。前述した通り私は当日の朝、自分でも呆れるくらい何度も吐きましたし、前日の夜、睡眠導入剤を飲まなければ眠れないこともしばしばありました。

けれど大事なのは、それらの一見、不遇としか言えない自分の状態も、全て試験に向けてプラスのものへ変換することです。具体的には、当日の朝ごはんの後吐いてしまった時には、「大丈夫。吐いても試験を乗り切るのに必要な栄養分は吸収されてる。それより満腹になり過ぎて眠くなる心配がなくなった。」と、とにかく良い方へ考えてほしいのです。こじつけでも何でも良いので、何かもしトラブルがあった時は ー そんな事は起こらないのが勿論一番望ましいのですが ー そう考えてみてください。意識してそれを行うことで気持ちに余裕が生まれ、本当に良い結果がもたらされることも絶対にあります。試験直前、何かを悪い風に考えることだけは決してしないで頂きたいのです。

最後になりましたが、この場を借りて、私の合格に向け全力でサポートして下さった教室長、塾長先生、講師の先生、事務局の方々に、心からの礼を述べたいと思います。私が栄冠を掴むことが出来たのは、ひとえに厳しくも温かかった、エコール麹町メディカルの皆様のお陰に他なりません。3年もの長きに渡り、本当にお世話になりました。●

 

 

 

帰国子女・文系出身理数系未履修・再受験から“1年半”で医学部W合格!

◆ 東京女子医科大学(正規合格)/聖マリアンナ医科大学(補欠繰上合格)/東京医科歯科大学歯学部(正規合格)

ONO Mao さん [出身]愛媛県 [高校]セントアンドリュースカレッジ・卒業 [大学]国際基督教大学・中退

 私は中学卒業後の4年間を海外の高校で過ごしました。高校生活はそれなりに楽しく充実した日々でしたが、卒業を目前にして「医師になりたい」と思ったときに私がおかれていた状態では、日本の医学部を受験して合格することなど、とても不可能でした。


そのような事情もあり、私は医学部受験を諦め、「帰国子女枠」でICU(国際基督教大学)へ入学しました。ICUでは、周囲の学生も教授の先生方のレベルも非常に高く、勉強の内容も非常に楽しく充実していましたが、やはり「医師になりたい」という気持ちがしこりのように胸に残っていました。同級生が皆しっかりとした将来の目標を持って学問に励む中で、私は「このまま挑戦せずに終われば必ず後悔する」と思い、思い切って大学を中退しました。

そしてエコール麹町メディカルの門をたたきました。初めて原田塾長瀬戸教室長にお会いした時のことは今でも鮮明に思い出すことが出来ます。8月でしたので、予備校の新学期が始まってから半分が過ぎた時期でした。こんな中途半端な時期に、医学部受験のことを全く知らないままやってきた私に、お二人は今の医学部受験の現状を大変丁寧に説明してくださり、「決して簡単な道ではないが、しっかりと対策を立てて勉強すれば一年半での合格も十分可能だ」と背中を押してくださいました。この予備校を選んだ理由はいくつもありますが、決定打となったのは「この先生たちについていけば、間違いなく合格までの道を歩むことができる」と信じることができる理念と熱意を持っていらしたからです。このようにして、いよいよ私の予備校生活が幕を開きました。

得意の英語をどう生かしたか

海外生活の経験があったことで元々英語の成績はよく、入塾の時期に受けた初めての模試でも偏差値は60を超えていました。しかし、実質「未履修」の状態から始めることになる理数科目で苦労をすることを想定して(事実、大変苦しみました)、英語を確実な得点源とし、他の受験生と差をつけるために、英語の授業には入塾と同時に平均して週8コマ(16時間)程度参加していました。

瀬戸先生は、点数がとれることで慢心してしまい“感覚”のみを頼りに英語を解いてしまう癖の抜けない私の「文法ができない」という致命的な弱点を始めから見抜いて指摘してくださり、文法のみの個別授業を設定してくださいました。倉林先生には入塾した年の9月頃からおよそ8ヶ月間、個別指導で文法を教えて頂きました。

原田塾長が担当する英文購読の授業で英文を理論的に解釈して読むという技術を身に付けることができました。バートランド・ラッセルやマイケル・サンデルの原著を読むというのは、英語力をつけるという意味で大変素晴らしいメソッドであったと思います。理論哲学や政治哲学を学び教養も広がりましたし、抽象的な概念を具体的に考えることの重要性や、論証の技術を実地で学ぶことができ、英語だけでなく小論文や2次試験のディベートにも大いに役立ちました。ちなみに、受験勉強ばかりでつかれていた私にとって哲学の原著を英語で読む塾長のゼミは、真の意味での「スコレー」(良い息抜き)にもなりました。

この他にもほとんどすべての講師の方々に英語を教えて頂きましたが、違う観点から様々なアプローチで教えてくださるので、英語への興味は増すばかりでした。事実、麹町メディカルに入塾してから英語の成績は伸びる一方で、最終的な偏差値は平均して75程度にまで達していました。教室長が入塾当初に提案してくださったように、まさしく「英語を確実な武器にする」ことが叶ったのです。これによって本番前の3か月は勉強時間のほとんどを理数科目に充てることが可能になり、精神的負担がだいぶ軽くなりました。

最後まで苦労した数学

初めて模試を受けた時にもっとも衝撃を受けたのが数学です。問題の意味すら全くわからず、手をつけることが出来ないのです。マーク模試でしたので、適当にマークをし、結果偏差値は30にも届きませんでした。日本の高校の数学は全くの別物…という認識はもちろんありましたが、それでもこれは予想外でしたし、大変な衝撃を受けました。

全く白紙の状態から数学をスタートしたため、最初はゼミには参加せずにプライベート授業とセミプライベート授業を中心に学習を進めていきました。結果、医学部受験に必要なすべての範囲を、入塾してからわずか8ヶ月あまりで教わることができ、入塾した翌年の4月にはゼミに加わることが可能になりました。

河本先生には最初から最後までずっとプライベート授業を受け持って頂きました。丁寧でわかりやすい板書をしてくださるので、河本先生の授業でとったノートは随所で役に立ちましたし、大学入学後も大切に使用するつもりです。また、勉強のやり方があまりよくわからず、いろいろな参考書に手を出しがちだった私に、「一つの参考書を最後までしっかりとやり抜く」ということを教えてくださいました。

また、佐藤先生にも1年半を通して大変お世話になりました。佐藤先生は1つの問題を解く方法だけでなく、その問題の背景にあるものや、“裏ワザ”とでもいうべき解き方など、大変深くまで数学を教えてくださいました。特に、秋期に開かれた佐藤先生担当のスペシャルゼミでは、ベクトルや図形など受験生が苦手とする分野を徹底的に教えてくださいました。お二人のほかにも、内海先生安久津先生と、数学科のすべての先生にお世話になりました。授業時間外の質問にも大変丁寧に答えてくださり、思うように成績が伸びずに苦心している時に道を示してくださいました。

最終的な成績は、調子が良くて50を少し超える程度しかありませんでしたが、それでも問題の意味すらわからず1時間ただ座っていただけだった最初の頃と比べると、躍進を遂げたと言っていいと思っています。得点源とはならなかったものの、他の教科の足をひっぱらない程度にまで成長したのは、ひとえに数学科の先生方のご指導によるものです。

生物も得点源に 躍進した理科

英語の次に得点源となったのは生物です。1年半を通して生物を受け持って頂いた三宅先生の授業は全て豊富な知識に裏付けされており、よもすれば“暗記する教科”だと思いやすい生物が“考えて答えを導き出す教科”であることを教えてくださいました。「暗記は必要最低限に。生物は全て理論的に覚えられる」ということを学び、未履修状態からスタートした生物の偏差値が教わって半年程度で安定して60を超えるまでに至りました。入試直前期の生物の冬期講習は、考察問題を中心に解く演習の時間や幹細胞や環境問題などの“最新のトピック”を扱ったゼミなど、生物を専門的に研究されてきた三宅先生にしか出来ないと言っても過言ではないほどハイレベルな授業ばかりでした。自分が1年半死にもの狂いで学んだことが、医学部入学後も確実に生きてくることを実感でき、自信に繋がりました。

化学に関しては、入試直前の10月頃になるまで成績は伸びませんでした。こんな状況を見かねて、瀬戸先生は「OBの医学生によるプライベート授業を受講してみないか」と提案してくださいました。こうして、OBのYさんに8月から5か月間化学を教わることになりました。Yさんはご自身も全教科ほぼ未履修の状態から受験勉強を開始し、2年で医学部正規合格にたどり着いた経歴の持ち主でしたので、思うように成績が伸びない苦しみや「勉強がわからない」というつらさを理解してくださいました。また、勉強時間や勉強の方法、私生活へ対するアドバイスもしてくださいました。要点をしっかりと押さえ説明してくださり、課題も与えて頂いたので、苦手な化学から逃げることなくコンスタントに勉強することが可能になりました。Yさんの授業を受講し始めてからおよそ1か月後のマーク模試では、いっきに偏差値が50を超え、飛び上がるほど喜んだのを憶えています。最終的には偏差値が60を超えるに至りました。

完璧にした2次試験対策

医学部受験でものを言うのは、何も1次の学科試験だけではありません。事実、聖マリアンナ医科大学の1次試験は手ごたえからしてかなりギリギリのラインでの通過であったと感じていますが、小論文と面接対策をしっかりと行なっていたお陰で、2次試験で大幅な得点を稼ぐことができ、最終合格に漕ぎ着けたのだと分析しています。

麹町メディカルでは小論文・面接対策にも力を入れており、週に2時間、塾長による小論文の対策授業が行われていました。この授業は、ただ“小論文の書き方”という画一的なことを教えるのではなく、哲学や倫理という観点から時事問題を読み解き、医療倫理から環境問題まで幅広く焦点をあて、塾生同士で徹底的にディスカッションをしていくという大変実用的なものでした。文系出身の私にとってこの授業は得意分野を伸ばし受験に生かすための大きな役割を果たしていました。毎週原田塾長の下で厳密な議論を積み重ねていたお陰で、聖マリアンナの2次試験での1時間にも及ぶ集団討論の時間にも全く気負いすることなく、冷静に自分の意見を述べ、他の意見を聞き入れることができました。

あの時を乗り越えてよかった!

このようにして合格までたどり着いたわけですが、途中何度も挫折しそうになったこともあります。もともと考え込みやすい性格だったことが災いして、5月の駿台模試を皮切りに、どんどんと悲観的になり、ふさぎ込んでしまいました。年が明け、「お試し」で第一志望の医学を受験したころから、「このままで間に合うのだろうか」という漠然とした不安は常に付きまとっていました。数学は勉強時間に反して全く点数に結びつかず、生物も頭打ちで、化学に至っては勉強することから逃げていました。入試本番まで8ヶ月と少し、その時点で数学と化学の2教科共に偏差値が50を満たしていませんでした。

21歳という自分の年齢や、大学生と高校生の妹がいることを考えると、もう1年浪人することが正しいこととは思えない。第一、もう1年勉強したから受かる保証はどこにもない……かといって、このまま受験をやめたところで、どうすればいいのかわからない。一人暮らしということもあり、毎日そのようなことを悶々と考えていると、気付けば勉強時間は以前の半分以下になっていました。

いよいよ居た堪れなくなった私は、瀬戸教室長に連絡をして、6月についに帰省することを決意しました。周りがどんどん力をつけていく時期の帰省、今考えても大変な痛手であったとは思いますが、その時はただただ精神的につらく、実家に戻ることしか考えられませんでした。こうして何の連絡もせず突然帰省した私を、両親は思いのほか温かく迎え入れてくれました。

逃げるようにして実家に戻った私を、瀬戸先生は責めることはしませんでした。それどころか、なんと、お忙しい中はるばる私の実家(愛媛県)まで飛行機とレンタカーを乗り継いで、お話をしに訪ねてくださったのです。瀬戸先生は私と両親に私の成績の移行をまとめた資料を見せてくださり、思うように伸びないと苦しんではいるが、着実に力をつけてきていること、このまま頑張り続ければ合格は十分に可能であると仰ってくださいました。しかし、それでも無理に帰京を勧めるようなことはされませんでした。今思えば、私を信じてくださっていたのだと思います。その後、私は両親と話し合い、結局帰省から1か月後に東京に戻りました。気持ちを新たに受験勉強の再開することを決意したのです。

もちろん、その後も気持ちのアップダウンはありました。一度帰省したことで途切れてしまった“受験生の生活リズム”を取り戻すのはなかなか大変で、気が付けば半日何もしていない日や、映画ばかり見ていた日もあったほどです。

しかし、途中入塾してきたWさんの短期決戦に燃える情熱と集中力に刺激され、また自分より年下の塾生が「今年が最後の挑戦」と強い覚悟を持ってわき目もふらずに勉強している姿を目の当たりにして、自分の覚悟の足りなさを痛感し、自分もこれではいけないと改めて気持ちを奮い立たせました。月に一度か二度、他の塾生と食事に行き、お互いの不安を吐露し鼓舞し合ったことも、私の精神面を大きく支えてくれました。このように、様々なバックグラウンドを持った受験生を受け入れている麹町メディカルであったからこそ出会えた人々との交流を通して、人間として成長できた部分も多くあります。

それでも、受験直前までトラブルは続きました。海外からの証明書の不備で、いくつかの医学部受験が絶望的な状態に追い込まれた時に、原田塾長は大学の入試課に直接交渉してくださり、ニュージーランド大使館に卒業を証明する書類を発行してもらうために奔走してくださいました。そんな中で私立医学部の入試が始まり余裕のない状態の私に、「こちらで絶対に受験できるようにするから、何も気にせず勉強に集中してください。」と言ってくださいました。

瀬戸先生は私が第一志望の大学に落ちてしまった日に眠れずに送ったメールを見て、深夜にもかかわらず電話をかけてくださいました。電話越しに泣いてしまった私に、「今諦めたらそれで今年の受験は終わってしまう。最後まで頑張りなさい。」と激励の言葉をかけてくださいました。

最後に、私の医師になりたいという気持ちを理解し、精神面と金銭面の両方で私のことを支えてくれた両親と、塾長・教室長を始めとするエコール麹町メディカルで出会った先生方、事務局の皆さん、塾生の皆さん、全ての方々に、心から感謝を述べたいと思います。これからは、OGとして皆さんと関わりを持っていきたいと思っています●