[Web限定配信] どうしてかくも本気の指導が可能なのか?

予備校や塾を非難する文言で,よく見るのが「商売でやっている」「儲け主義」など,教育のビジネス的側面に対する中傷である。

もちろん,商売を目的とした,純然たる「教育産業」も存在する。しかし,多くの予備校や塾は,利益の追求を至上命題とする企業の論理からほど遠いところで,ほそぼそと事業を続けているのが実態である。

そもそも,塾や予備校はそれほど儲からない。少なくとも,インプットする投資(お金,時間,労働力・・・)に対するアウトプットが少ない。利益率,ということで考えれば,率は高いが,その分,人間を相手にした長期間のサービスであるから気苦労も絶えず,このような目に見えないインプットも金銭化して計算したら,トータルの利益率は限りなくゼロになってしまうだろう。

 

それでは,なぜ塾などをやっているのかと聞かれれば,人が成長するのを助けること,教えて分かってもらうことに喜びがあること,そんなところだろうと思う。

必然,多くの予備校や塾は,件の低い利益率の問題に頭を悩ませた結果,大規模経営に走るか,気苦労のない手軽な指導に徹するか,という道を選ぶことになる。塾を経営体と見た場合には,やむを得ない選択であり,それ自体には非難されるべき理由は見当たらない。

塾からDMが届いただけで「商売でやっている」「けしからん」という反応をする人がいるが,そういう非難は子供じみたものである。経営が成り立たなければ,教育サービスは成り立たず,すべてを公教育に任せなければならないという社会主義的な理念を是としないかぎり,それは,教育の多様性を損ねてしまう可能性すらある。

大規模経営や気苦労のない経営を目指さず,深いコミットメントを保ちつつ,それぞれのスタートとゴールに合わせた勉強指導を成り立たせるには,公的なサポートも必要かもしれない。しかし,そのような「補助金」や援助が得られない純然たる私立の塾,私塾が,生徒一人ひとりへのコミットメントを継続させていくことを可能にするためには,なにが必要なのか。

おそらくは,塾の経営者の教育への思い入れしかないと考える。社会制度の設計を考える場合には,そのような経営者の資質を前提にした議論は,処方箋になり得ないが,個人的には,ゆるぎない真実であると思っている。

しかし,思い入れが抽象的レベルにとどまる限り,これもやはり,問題解決には役に立たないだろう。背に腹は代えられないということが自然の摂理であるならば,自分の給料をゼロにして,借金を続けてまで「教育のために」という理念を追求し続けるのは,少なくとも普通の人には無理である。

私たちは,なぜ続けるのか。

どんなレベルの人でも,確実に学力を伸ばすためのメソッドを開発したいという強い欲望があるからである。これは,ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中教授やその他の多くの科学者たちが,純然たる学問的情熱に燃えて世界的成果を追い求めていることに似ている。語弊のある言い方をあえてするならば,様々な学力・様々な資質を持った人にどうやって高い学力をつけさせることが可能か,というテーマについての壮大な実験を行なっているのである。つまり,「教育のため」の内実は,「自分のため,社会のため」でもあり,究極的には自分の欲求を満たすためでもある。

本気の指導は,その人だけでなく,自分と社会全体という最大の広がりをもった目的を内包し,進められることで,はじめて可能になるのである●