2013年入試 合格体験記 ~EKMの先輩方からのメッセージ~

再受験からの国公立医学部合格。

依田大樹さん 山梨大学医学部医学科(後期試験・最終合格)/名古屋市立大学薬学部薬学科(中期試験・合格)

合格祝賀会にて。医師への道をスタートした、凛々しい表情が印象的です。
合格祝賀会にて。医師への道をスタートした、凛々しい表情が印象的です。

エコールとの出会い

 私が国公立医学部を受験しようと思ったのは大学在学中でした。再受験のため 受験には多少なりとも自信をもっていたつもりでした。そのため、どこの予備校にも通わずに勉強し国立医学部を受験しようとしましたが、センター試験がさっ ぱりとれずにいわゆる足切りにあってしまいました。一人で勉強を続けていくことの限界を感じ、大手予備校から医学部専門予備校まで様々な予備校の資料請求 をして検討し、また体験授業を受け、その中で最も講師と生徒の距離がなく、自分のような境遇を理解してくれたエコール麹町メディカルに入塾を決めました。

エコールでの授業。
 エコールの授業はどのクラスも7,8人までの少人数制になっています。そのため、大手予備校のように講義を聞くだけの受け身的なものではなく、講師が質問してそれに答えることが多く、緊張感をもって授業を受けることができました。

苦手な英語の克服。
 英語Aクラスは帰国子女や社会人の人も多く、英語に対して強い苦手意識を持っていた私はクラスの中で一番劣っているように感じていました。今の自分では この授業についていくのは無理なのではないかと弱気になり2回目の授業終了後に瀬戸先生のところに行きクラスを一つ下げて欲しいと申し出ました。しかし、 先生は「国立を目指すなら質の高い英語力が必要になってくるし、君ならば授業についてくることができる。」とおっしゃってくださいました。この言葉に励ま されて必死で頑張って授業にくらいついて、結果的にセンター試験で188点を取ることができました。
授業では習ったことは忘れないように予習・復習を行い、地道に着実に知識を積み上げるように心がけました。チェックテスト、スコレーテストは自分の穴を発見し、講義の内意用を再復習するのに役立ちました。
エコールでは自習室が充実しており、ここに集い互いに高め合う仲間がいつもたくさんいました。授業が終了した入試前には日々12時間勉強している友達に刺激を受けて、私も往復三時間かけてエコールに通い最後の追い込みに励みました。
また、センター試験の直前期に課題となっていた国語を徹底的に指導していただきました。柳生先生の独特な読解テクニックや論理的解法パターンは斬新で、理 系的な思考が得意な私にとても適していました。おかげで不得意だった国語で大きく足を引っ張られることもなく、難化した今年のセンター試験全体で8割後半 の点数をとることができました。

前期試験不合格。
 期待をもって発表を待っていた私にとって、前期試験不合格には大きなショックを受けました。受験には安定した精神状態であることが重要だと思います。モ チベーションが下がってしまった私が不合格のメールを瀬戸教室長に送ったところ、「目の前が真っ白になりますが、しかしこれまでの頑張りからすれば山梨で 挽回できる! 単なる励ましではなくて君の理数系の力からして冷静に、そして強く信じています。」との返信が届きました。自分を高く評価し、応援してくだ さる言葉をいただいて勇気づけられ、後期試験に向けて再び頑張ろうとする気持ちが湧いてきました。

山梨大学受験。
 自分を信じて……とは思うものの、試験前日はあれこれと頭の中を駆け巡り、睡眠時間3時間で朝食もあまりのどを通らない状態で試験会場に向かいました。
得意であった数学ですが山梨大学の問題は難しいため満足のいく出来ではありませんでしたが、理科はしっかりと解答できました。これは、毎週のチェックテストで記述式にも問題が対応していたお蔭で、余裕をもって取り組むことができたと感謝しています。

最後に。
 私が再び受験生となり、過ごしたこの一年間は決して順風満帆なものではありませんでした。何度も挫折しかけ、国立大学なんて合格できないのではないの か、と思ったりもしました。しかし、そのたびに乗り越えることができたのは偏に先生方、仲間、事務局の方々の支えがあってのことだったと思います。


 再受験であること、年齢のこと等々、不安はいろいろありましたが、エコールでは様々な背景を持った生徒が同じ教室で学びます。大手予備校にいたら、私の ような立場にいる者は他の生徒との隔たりを感じることがあっただろうと思います。ですがエコールではそのようなことは気にせず受験勉強に集中できる雰囲気 がありました。このことが私にとって大きな支えになりました。


 信頼し安心して学べる場があったからこそ国立大学医学部に合格でき医師へのスタートラインに立つことができたのだと思っています。


 応援し支えてくださった皆様に心から感謝申し上げます。

●塾長・教室長より

  他学部や他業種を経て、新たな別の道を目指す大学“再受験" ― EKMから国公立医学部に合格した人の多くが、こうした再受験者です。そして、この再受験合格者達に共通しているのが「決して初めてではない大学受験にま るで初めてのように取り組む姿勢」です。教科ごとの勉強法や日々の勉強計画、メンタルの保ち方から受験校選択に至るまで、あらゆる点において我流を廃し、 全面的に我々専門家の指導に従うさまからは、謙虚さと、医の道を目指す熱い気持ちがあふれ出ていました。


気ままなお嬢様育ちから一転、強くしなやかな、“梅ちゃん先生”の卵が誕生。

鈴木理夏さん 東邦大学医学部医学科(最終合格)/埼玉医科大学(一次合格)

合格祝賀会にて。充実感に満ちた、キュートで素敵な笑顔と一緒に。
合格祝賀会にて。充実感に満ちた、キュートで素敵な笑顔と一緒に。

受験戦争とは無縁の平和な日々

  私は小中高一貫のカトリック系の女子校で12年間を過ごし、進学校とは程遠く、勉強よりも人格形成に重点を置くような環境の中で、穏やかで楽しい学生生活 を 送ってきました。浪人をするまでは、勉強で人と競争するという経験は一度もありませんでした。実際、いま思えばおそろしいほどに、毎日をただ楽しく過ごし ていました。傍から見たら自由気ままなお嬢様暮らしをしているように見えたかもしれません。


CAを夢見ていた女子高生、医師を志す

 そんな私の将来の夢は、長い間、「CA(キャビンアテンダント)」でした。しかし、高3の秋ごろに医大進学を決意しました。きっかけはいくつかありましたが、やはり父、祖父、叔父、叔母など、親族に医師の多い家庭環境の影響は大きかったです。

  医師という仕事のやりがいと重み…大学進学という契機に、将来の職業のことを真剣に考えた時、もっとも身近にあったこの職業が、一番しっくりくると感じま し た。しかし、医師という職業をどれだけ身近に感じていても、学力が足りなければ医学部には入れません。その春から私は、半年前には想像もしていなかった 「医学部浪人生」になることが決定したのです。

 

しかし、予備校の雰囲気が怖い…

  卒業を迎えると同時に、予備校探しをはじめました。いくつかの予備校を見てまわってお話しを伺いましたが、受験勉強が初めての私は、予備校の職員の方のた だ ただ厳しい態度や、浪人生の“お兄さん”たちのなんともいえない雰囲気に圧倒されてしまいました。とてもじゃなけれど、自分はこの中に入っていくことなど できないと感じてしまったのです。

 

 

他とは違う、ここでなら私も頑張れるかもしれない

 そんな中、3校目か4校目のタイミングで伺ったのが、エコール麹町メディカルでした。私の弟のクラスメイトのお兄さんがこちらの卒業生で、医学部に合格・進学されたということで、母が“ママ友”であるそのお母様からご紹介をいただいたのでした。

 

  初めて教室長の瀬戸先生にお会いしたとき、ここでなら私も頑張れるかもしれないと直感しました。私の経歴や打たれ弱い性格、そんなに体が強いわけではない 事 をお話したときに、「ゼロからでも大丈夫、同じような先輩がたくさんいる。それに、少しぐらい弱さがあって人の痛みが分かる人の方が良い医師になるよ。一 緒に頑張ろう!」と言ってくださったのです。

偏差値30台からの医学部受験がスタート

  こうして、私の浪人生活がスタートしました。1年目は高校3年間分の教科書レベルの勉強でした。理数科目に関してはほぼゼロから、英語も勉強の仕方が分 かっ ていなかったのでイチからやることになりました。最初の模試では数学と化学の偏差値は30台、英語と生物の偏差値も40台でした。

 しかし、本科ゼミに加えて個別授業を入れながら勉強を進めていくと、冬頃には英語と生物は偏差値50台後半~60台前半になりました。とはいえ、高校3 年 間分の勉強・すべての受験科目を、わずか10ヶ月で完成させるのは無理な話です。自分も家族も、当初より複数年の受験勉強を覚悟していたので「一年目は “医学部の試験はどんなものか”を体験することを第一に入試に挑みました。 

一浪目の“ご褒美”
 (もちろん)医学部には合格しませんでした。しかし、チャレンジとして受験した某歯学部から「特待生」としての合格を頂いたときには、理系科目ゼロから は じめた自分の1年目の頑張りを認めてもらったような感じで、心から嬉しかったです。医学部を目指す気持ちに代わりはなかったので辞退させていただきました が、この合格は、その後の続く受験生活のの大きな励みになりました。

 1年目に基礎を固めた成果で、2浪目の新学期は、全教科で上位クラスでスタートすることができました。それでもやはり数学と化学はどうしても苦手で、授 業 に付いていくのに精一杯。復習にも時間がかかって、苦しい日々でした。一方、英語と生物は、この年で完全な得意科目となりました。これが奏功して、冬には 複数の先生方から「英語と生物は大丈夫だから、数学と化学で入試問題との相性が良ければ、私立新設医学部には受かれるかもしれないね」と言われるようにな りました。

二浪目の辛酸
 しかしながら、入試本番ではことごとく数学が上手くいかず、2年目も涙を呑みました。この結果は、もちろん悲しかったですが、それぞれの試験で「できたところ/できなかったところ」がハッキリとわかるようになっていたので、どこかで冷静に納得している自分もいました。


 ただ、この年は、これとは別の理由でいまだ感じたことのない悔しさを経験しました。それは、私と同じく前年度からEKMに所属し、成績も競り合ってきたクラスメートが、埼玉医科大の後期の一次試験に通ったことでした。よ き勉強仲間・ライバルとして共に励まし合い競い合ってきただけに、「なぜ彼だけが?なぜ私じゃないの?」「私の何かいけなかったの?」と、心が乱れまし た。先生方から「学力は拮抗していたのだから、それこそ試験問題の相性の問題だよ」と励ましていただき、そう理解するように努めました。それにしても、自分にはこんなにも負けず嫌いのところがあったのかと驚きでした。

 

悔しさをバネに、有言実行の三浪目

 3浪目に入り、この負けず嫌い精神のせいで、精神的にほとほと疲れてしまうこともありました。しかし、これは受験生として持つべき精神であると思います。どんなときでも「1番になる」ことは大変なことです。しかしこの1年間、私はいつも「まずはこの予備校の中で、EKMの中で、1番になる!それを維持する!」と思っていました。

 

その時の私には全員が敵に見えて仕方ありませんでした。(実際、今、合格してみると一緒に予備校時代を過ごした友人は敵などではなく、一生ものの仲間だと心から思います!!)

 

 みんながやっている事はすべてやり、さらにそれ以上のことをするというのを目標に実践していました。前期はこれを順調にこなし、成績もどんどん上がり、全国模試では、(新設医大ならば)B~C判定も出るようになりました。 


突然襲ってきた、制御できない不安
 しかし、スランプやアクシデントは必ずやってきます。化学の夏の演習授業のとき、周りの人がみな正解出来ている問題で、自分だけ何問も解けなかった事が あ りました。それまで成績も順調で、精神的にも安定して受験生活を送れていましたが、こんなに些細な事で、がたっと精神的に崩れてしまいました。

 その時の化学のクラスは男子の中に女子は私一人で、「やっぱり男の子は心も強いし、きっと勉強の飲み込みも早くて叶わないんだな、もう無理だ…」と真剣に考えてしまい、食欲も無くなってしまい、この年になって初めての欠席、しかも3日も連続で欠席してしまいました。

動揺を乗り越えた先に
 辛くて居てもたってもいられず、自宅から瀬戸先生に心境をメールしました。すると「ここまで頑張っていて、成績も2浪目より圧倒的に伸ばしているんだか ら、辛いときは2、3日ぐらい堂々と休んで良いよ。小さなことで不安になるのは、“受かる人”によくあること!」と言っていただきました。本当にほっとし たのを覚えています。そのお言葉のおかげですぐ元気になり、自信を取り戻して即座に復帰できました。 

 苦手科目で苦労していたときには、自分の得意科目である英語をもっともっと伸ばして、苦境を乗り切ったこともありました。ある時、英語の先生から「高校 を海外で過ごした他の塾生よりも、受験英語の能力はあなたのほうが今は上だよ。」と言われて、さらにやる気が出ました。また、一浪目、二浪目のときには怖れ多いような気がして出席せずにいた、原田塾長のマイケル・サンデル講読(英語の原書を読む)ゼミにも、1度も休まずに出席しました。

思い出深い合宿生活
 夏には個別特訓合宿があり、そこでも大きく成長できたと確信しています。湘南の合宿地は、とてもきれいで素晴らしい環境なので、勉強に集中できます。受験生活が終わった今でも、「今年もまた行きたい!」と思うほど、私の大好きな場所です(笑)

 EKMでは、誰もが参加できるように配慮して公共の施設を使った体育会なノリの全体合宿から、湘南のような少し贅沢な環境での個別合宿まで、今年は5回 の 合宿がありましたが、私はそのすべてに参加しました。朝が弱い私には、起きてすぐ勉強し始められる環境は大変ありがたい環境でした。 

 

多くの人に支えられて

  私は、受験生活の面で、何かあるとすぐに瀬戸先生に相談をしていました。い つでも、どんな悩みでも、親身になって相談に乗ってくださり、私のもう一人のお母さんのような存在でした。瀬戸先生に励ましてもらいながらでなければ、私 は受験生生活を乗り切れなかったと思います。本当に感謝しています。

 また、原田塾長先生をはじめとする各科目の先生方、そして事務局の皆さんもいつも親切にご指導くださり、本当に感謝しています。

 そして、情緒不安定な時期、疲れて機嫌が悪いとき、いつもそばで応援しつつ見守ってくれていた父、母、弟にも本当に感謝しています。特に母には、本当に支えてもらいました。立派な医師になって、これまでお世話になった人達にいつか恩返しをしたいと思っています。

私のようなあなたも、あきらめないで

 最後に、私が偉そうに言えることではないかもしれませんが、私のように医師家系に育ち、医師になりたいと思っても勉強をして来なかったために医学部を諦めようとしてしまっている人もいるかもしれません。


 でも、地位やお金のためばかりを考えて医師を志望する人よりも、身近に医師を見てきて、やりがいや大変さもわかった上で、自分もそうなりたいと思う人の方が絶対良い医師になれるのではないかと私は思います。
ですから、そのような人たちには医学部に入ることを諦めないでほしいと思います。

 私は良い予備校、先生方に出会えたおかげで、合格することができました。 エコール麹町メディカルに通ったことで、よき師、よき友に出逢えたこと、そして、全く勉強が出来なかった私が、旧設医学部である東邦大学に合格できたことは、一生の誇りです●

 

●塾長・教室長より

  「理系の成績上位者は医学部に行っておけ…という風潮が高まり、確かに優秀な学生は増えた。しかし彼らが研修医として現場に立ち始めたとたん、その意識や 姿勢があまりにも臨床医向きではないことに愕然とさせられることも増えた。なにかと批判の多い“世襲"であるが、医者のなんたるかを物心ついた頃から間近 にみて育ってきた医師の子弟が医者となることの意義を、いま再び見直すべきではないかと思う。」昨年お会いした、某難関国公立大学医学部で教鞭をとる、S 博士によるお話。激しく同感です。


日本の高校教育ゼロからのスタート。見事手にした正規合格!

大間京希さん 聖マリアンナ医科大学医学部医学科(最終合格)/埼玉医科大学(一次合格)/福岡大学(一次合格)

夏の湘南合宿にて。応援に駆け付けてくれた、OBの木村先輩と。(左・大間君/右・木村先輩)
夏の湘南合宿にて。応援に駆け付けてくれた、OBの木村先輩と。(左・大間君/右・木村先輩)

 私は、中学校卒業後の4年間を海外の学校で過ごしました。高校生活の3年間はスイスのインターナショナルスクールで、大学の1年次をアメリカのシ アトルで生活しました。初めて親元を離れ、生徒の過半数が外国人で構成される学校に身を置くことはとても刺激的で、素晴らしい経験となりました。そして、 卒業を迎える学年となり、周りの友人たちがアメリカの大学に願書を出しているのをみて、軽い気持ちで自分もアメリカに渡ろうと決めました。しかし、成績も 中の下程度で、特に将来について明確な展望があったわけではない私は、入れる大学がなかったのです。そこで、「シアトル」+「イチロー」=「なんか格好い いんじゃね?」という安直な考えで、シアトルのコミュニティカレッジに進学を決めることとなりました。

 

 大学入学後、シア トルのコミュニティカレッジでは平均的な授業数を取っても内容はとても簡単で、遊ぶ時間に困ることは無いほどでした。アメリカに渡ってから8か月程たった ころから、「俺はこのままこのゆるい生活を続けて、将来どんな職業につき、どんな人生を歩んでいくのかな。」と考えるようになり、「よし、日本に本帰国し て、大学に入りなおそう!」と決心しました。すぐに家族に電話をかけ、その旨を伝えると、姉の口から出た言葉は2つの選択肢でした。「日本に帰ってきても いいけど、中途半端なことするくらいだったら法学部か医学部にはいりなさい。」というものです。数日間考え、医学部を目指すことに決め、2010年6月下 旬に本帰国することとなりました。当時の自分は自分の将来をしっかりと見つめ、良き将来のため決断したと思っていました。しかしながら、医学部受験につい て無知だったこともありますが、振り返ってみると、あの時の自分は何としてもとにかく日本に帰国してきたかったんだなと思います。

 

帰国後、すぐに予備校へ。
 日本に帰ってくると、姉が先に下調べしておいてくれたいくつかの東京の医系予備校に2人で面談を申込み、足を運びました。「今年度の合格を目指したい」 と伝えても返ってくる言葉は「いやいやきついですよ」や「医学部受験はそんな甘くないですよ」といった否定的な態度だったり、馬鹿にした態度をとったりす るような人ばかりでした。そんななか、エコール麹町メディカルの原田塾長と瀬戸教室長だけは「医学部受験はとても大変ですが、一緒に頑張っていきましょ う」と背中を押してくださり、僕も姉も満足して入塾を決めることとなりました。

未知の領域に飛込み、無知に気付かされた1年目。

  2010年7月上旬からエコール麹町メディカルに単科生として入塾しました。英語は倉林先生に文法を8月末までに終わらせていただき、数学は内海先生と河 本先生に分担してもらって0から受験期までに終わらせるという方針のもと進めてもらいました。そして理科に関しては、三宅先生に「入門編」として生物・化 学を1周していただきました。今思えば、「入門編」といえど、一般学部の入試であれば十分すぎるほどの知識を与えてくれる、濃密な授業だったと思います。 また数学と英語に関しては9月から集団授業に参加し、数学に関しては自分の今のレベルを嫌でも認識させられ、一方、英語は「この科目だけは絶対にまわりに 負けたくない!」と思い励んでいました。しかしながら集団授業や模試を通して、受験期が近づくたびに今までにこなしたことのない膨大な勉強量の実態が分 かってきて、「絶対間に合わない…」と思うようになりました。しかし、ここで折れても、何もならないと思い、また周りで一生懸命に努力を続けている仲間が いたおかげもあり、そのままほとんどペースを落とさず受験期まで突入することができました。やはり、英語以外は0からのスタートであったため、医学部受験 で戦っていくには心もとないもので、医学部は全敗。しかし、教室長のアドバイスで受けることとなった鶴見大学歯学部に見事特待生として合格することができ ました。人生初の大学受験で、医学部に全敗した後のその合格は、歯学部といえど、僕にとって、とても意味のあるものとなり、もう1年頑張ろうと決意できる 要因となりました。

 

人生初、学科試験を通過した2年目。
 4月から新しい年度が始まると、共に医学部を目指す仲間も増え、より一層受験勉強に取り組むことが出来ました。その中でも救急救命士という立派な職業を 辞めてまで、医学部受験に臨むことを決心し、エコール麹町メディカルに入塾した方がおり、その方の志望動機や勉強に対する姿勢には多くのことを学び刺激を 受けました。また浪人2年目となるこの年の6月ごろに叔父と祖母を亡くし、葬式にも出ることができなかったので、必ず医学部に合格して、墓前でいい報告を することを心に決めました。


 そして迎えたその年の受験、僕は医学部以外に進学するつもりはなかったので、他学部に出願することはせず、医学部のみを受験していきました。しかしどこ を受けても結果は出ず、なかば諦めていたところに埼玉医科大学の後期受験をすすめられ、受験しました。受験日当日までの2週間は赤本を解き倒すことだけに 専念し、ラストワンチャンスを手にするべく死に物狂いで過ごしました。その甲斐あって1次試験を通過し、人生初となる医学部の面接に臨むことになりまし た。しかし、補欠合格者のグループに入ることもできずに敗戦を喫することとなりました。

 

合格を掴み取った3年目。
 埼玉の2次試験が終わり、1、2週間休むとすぐに浪人3年目に向けて準備が始まりました。この年は前年と比べて大きく2つ変わることがありました。1つ 目は「浪人は今年で最後であり、滑り止めの他学部も受験すること」。そして2つ目は「2年目までは居候で恵比寿から渋谷への通学だったが、千葉の実家から の通学となったこと」。1つ目の変化は医学部受験に向けて勉強していれば問題なく達成される事でしたが、2つ目の変化はやはり無理があり、受験期直前の 11月から東京で一人暮らしすることとなりました。今までの交通時間がもったいなかったねと思われるかもしれませんが、自分でどれだけ通学時間が無駄だっ たか身をもって経験しただけ、東京に引っ越した後はより効率的に勉強に打ち込むことが出来たと思います。


 浪人生活も3年目ともなると1年というのはあっという間に過ぎて行きました。気付けばセンターの直前になっていました。


 マーク型の試験では過去最高の結果となりましたが、医学部のセンター利用で使えるほどではなく、センターが終わるとすぐに2日後に迫る東邦大学医学部の 入試に向けて気持ちを切り替えました。東邦、杏林と連続して惨敗を喫し、自分の実力を疑い始めた矢先、同じ予備校から数名が東邦の1次試験を通過したこと を聞いて、心から喜んだと同時に悔しい気持ちも抱きました。その悔しさを糧に死に物狂いでやりきり、3つの大学の1次試験合格を手にする事となりました。


 埼玉医科大学、聖マリアンナ医科大学、福岡大学医学部の中でも聖マリアンナ医科大学の面接は他の大学とは大きく異なります。まず個人面接をしたあとに 11人または12人のグループで行うグループ討論をして、再度個人面接を行います。僕自身、グループ討論まではとても良い手ごたえを感じておりましたが、 最後の個人面接では経済についてや、四文字熟語について答えることが出来ず、焦りに焦った挙句、学校が推している制度について「興味がありません。」など と答えてしまう始末で帰り道に珍しく意気消沈する程でした。そのようなこともあり、「正規合格」として発表されているのを見たときには、驚きが隠せません でした。

受験を終えて。
 やはり感謝という言葉に尽きると思います。
 留学している時に医師という職業を提示してくれて、決して誰でも通えるわけではない予備校の学費を払い、これからも6年間お世話になる姉にはまず頭が上がりません。
母は、僕が千葉までバスで帰るのがどうしてもめんどくさいというときには東京まで車で迎えに来てくれ、いつもおいしい御飯を用意してくれました。また、僕 が1次試験に初めて合格した時に泣いてくれた妹のような姪や叔母がいます。そして「お前には絶対負けない。」と発破をかけてくれた兄がいます。驚かすため に内緒で福岡に行った僕を暖かく迎え入れ、祝福してくれた親戚のみんながいます。


 瀬戸先生や原田塾長には勉強だけでなく、生活態度や考え方などいろいろなことを教わりました。瀬戸先生の英語の授業では、生徒の弱点を見抜くのがうまく、自分が当たりたくないなと思っている問題に限って指名されるので毎回ひやひやしていました。    
 原田塾長のサンデルの授業は、英語力、思考力や知識を一度に身につけることのできる有意義な授業でした。また小論文の授業でいろいろなテーマについて理 解を深め、小論文を書いて頭の整理をすることで聖マリアンナ医科大学や福岡大学医学部の2次試験対策として強みになったと思います。


 エコール麹町メディカルで初めて授業を担当して下さったのが、英語科の倉林先生です。倉林先生は英語の知識についてはもちろん、教科の枠にとらわれない、実生活に即した雑学が豊富で、先生の授業はいつも面白く、ためになるものでした。
 数学の内海先生と河本先生には入塾してから集団授業や個別の授業を通して、僕のくだらない質問にも真摯に答えて下さり、始めから最後までずっとお世話になりました。
 三宅先生は深い知識と分かりやすい説明をもとに、受験に必要な知識を僕の頭に叩き込んでくれました。先生も来年からは研修医になるとのことで、まだまだ先ですが、将来いつか職場で出会えたらなと思います。
 進藤先生にはゼミや個別でお世話になりましたが、特に個別では僕の性格をきわめて正確に把握し、問題点などについてしっかりとアドバイスをして下さいました。
 若林先生は何でも思ったことを述べてくれる先生で、自分が間違えてはいけない問題で間違えたときも、しっかりと基本から解説して下さったのが印象的でした。
 太田先生には個別の授業でお世話になり、生物が苦手な私にとって、分からないことを質問すれば120%で一気に説明してくれ、流れるように頭の中に入って行きました。
 藤本先生は豊富な知識を元にどんな複雑な分野でも、物語のように明解に解説してくれます。


 事務室の竹生さん、寺井さん、道脇さんには本来ならば僕たちが自分でやらなければならないような面倒な事のほとんど全てを、かわりにして頂き、おんぶにだっこというような感じで2年半の間大変お世話になりました。
 なんでも話すことができ、相手の合格に悔しさを抱く一方、心から祝福できるような仲間ができたこともとても価値があることでした。


 これまで何か達成したこともなく、将来について何か希望があったわけでも無かった僕にとって、まさに合格したあのときは人生が変わった瞬間だったのでは ないかなと思います。そして、この2年半を振り返ってみるといろいろな人に支えられてここまで来ることが出来たのだな、と強く実感します。


 僕は決して他の誰よりも勉強している、という風に思ったことはなく、また周りも僕に対して同じこと思っていると思います。実際、僕の予備校にも6時から 24時まで勉強している人もいます。もちろん僕もそういった人に刺激を受けて、やろうと思った事はありましたが続けられず、すぐに断念しました。こういっ た経験から、医学部を目指す人にはあまり周りに影響され「過ぎず」、いい意味で自分のペースであきらめずに頑張ってほしいと思います。

 

●塾長・教室長より

  幼い頃から医師をめざし、小中高と成績よく、高2の進路選択では順調に理系コースへ、みんなと一緒に大手予備校やなんかに通って、現役や一浪ぐらいで医学 部に合格! ― これは、どこで学んだかとか誰に学んだかとかに左右されない、至極当然の結果です。これとは真逆に、紆余曲折あって苦労したね…とか、周りにずいぶん迷惑 かけたね…とか、理系エリートとは程遠いそういう人が、晴れて医師の卵となる瞬間 ― その人生が大きく動き出す瞬間を目撃する感動は、筆舌に尽くしがたいものです。