塾長談話(AGORA 第8号-2013年第2号-巻頭コラム)

■ 病気と健康について

医療者を目指す皆さんにとって、病気は、さしあたり「治すべき」ものでしょう。早く病人を治す立場になりたい、という願いは、真正のものである限り、賞賛すべき志です。健康は素晴らしい価値であり、病は克服すべき課題である。このような考え方が、医療の進歩を後押ししてきたのは事実であり、皆さんも、そのような思想を共有してこそ、医療者の道を目指す覚悟を決めたのだと思います。

 

一方、皆さんの多くは、ときに自らが病気になり、つらい思いを抱くことがあったでしょうし、これからも、病とまったく無縁の生活はありえません。実際、現在も、程度の差はあれ、病気の治療をしながら勉強を進めている塾生諸氏も少なくありません。では、病気を抱えながらの勉強は不幸なのでしょうか?

 

病気を一方的な悪と決め付けずに、病気を一種の好機ととらえることを提唱した人がいます。カール・ヒルティという19世紀後半〜20世紀初頭のスイスの思想家です。彼は、法律学者であり、裁判官・政治家・哲学者でもあった人で、非常に幅広く活躍しました。日本では戦前から有名で、今でも愛読者がたくさんいます。『幸福論』から、いくつか引用してみましょう。

 

「どんな病気も必ず、なんらかの理にかなった目的を持っている。ひとは熟慮してその目的を見いだし、それが自分に課せられた務めである限り、これを促進しなければならない。」

 

「まるで健康でなければ何事も出来ず、義務も果たせないというふうな、現代人の意気地のない、窮屈な考え方を捨てる

こと。」

 

「すでにおおぜいの人々がみじめな健康状態にありながら、申し分のない健康を恵まれたほかの多くの人たちよりも、世の中のために多くの仕事を成し遂げてきた。たとえその人々が単に、病苦のなかでの忍耐力や喜びの実例を示し、そのような境遇にあっても人は幸福になれるということを実証するだけでも、それはたいていの完全に健康な人々の果たしていることよりも勝っている。」

 

「病気は一種の浄化作用であり、健康なときにはなしえなかったろうと思われる、より高い人生観への突破口となることができる。」

 

「適度な仕事は、ただ休んでいるよりも、健康を長く維持し、また、およそわれわれに与えられた分でもある。」

(草間訳・ヒルティ『幸福論(第3部)』岩波文庫)

 

ヒルティはキリスト教徒なので、聖書を踏まえたと思われる警句も見られますが、クリスチャンでなくても納得できる点は多いのではないでしょうか。かく言う私も、幼少から病気がちで、苦しみながら勉強してきたことを思い出します。大人になってからいちど大病をしましたが、おかげで、いまはスッキリ、「健康」な人になることが出来ました。身体が病気でも、「健康」でいることは出来ると思います。ヒルティは、病気になっても、それは誰にも平等に与えられるものであり、考え方次第で「健康」に転化できる、こう言いたかったのではないか。私は、このように解釈しています。

(文責:原田広幸 塾長)